大したことではないのだが、偶然新規取引先にもちかけられたので備忘として。
(取引先)「ところで支払いについてなのだが、総受注額の5%を引かせていただき、お支払いさせていただくのですが、よろしいでしょうか…?」
( 私 )「(ん…?)はい。まぁ、それぐらいなら差し支えありませんけれども…」
(…後略…)
別に何とも思わなかったのだが、後で別件で最初から「歩引き5%ありきです」という業者があり、率直な感じ「歪な商習慣だ」という印象。
調べてみると何でも、古い商習慣で割と行われていたとのこと。
しかも、どうやら下請法では違反となる様子。(実際に公取よりH21も是正勧告と社名公表されている企業は多々ある様子)
例えば1,000万で5%なら50万。まずまずの額だが、勧告を受ける事を考えるとどうなのだろうかな。
というか、小利に捉われ大利を逃すことになりそうなものだが…。
実質的には、次のような手法で歩引き的な慣習は今後も無くなりはしないだろうが…。
「来月も同じ仕事を依頼するから、全体的にちょっとシェイプしてよ。見積。頼みますね」
「ウチもこの時期苦しくてね。内々のお願いなんだけど、3%値下げしてもらえる?」
とか…
まぁ、「そう言われれば何も。ウチとオタクの仲でしょう?」とそれほど悪い気はしないだろうが。慣習として横行すると、それは悪弊と呼ばれても仕方がないのだろう。
下請法抜粋
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● 親事業者,下請事業者の定義(第2条第1項~第8項)
a.物品の製造・修理委託及び政令で定める情報成果物作成・役務提供委託
親事業者:金3億円超
下請事業者:金3億円以下 (個人を含む。)
親事業者:金1千万円超3億円以下
下請事業者:金1千万円以下(個人を含む。)
※ 政令で定める情報成果物作成委託…プログラム
政令で定める役務提供委託…運送,物品の倉庫における保管,情報処理
b.情報成果物作成・役務提供委託(政令で定めるものを除く。)
親事業者:資本金5千万円超
資本金5千万円以下(個人を含む。)
親事業者:金1千万円超5千万円以下
下請事業者:金1千万円以下(個人を含む。)
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まぁ、本当に話題自体はどうでもいいことだけど…。
後学のために。
2010年1月8日金曜日
2010年1月2日土曜日
シグモイド関数(sigmoid function)
S字曲線により、「ソフトウェア信頼度成長曲線」を書こうとして勉強。ロジスティック関数の一種。
1.名前の由来はΣ(シグマ)から…
ΣはアルファベットでS。つまり、「Sっぽいカーブになる」からsigm(シグマ) + oid(~の) curve/functionということ。Σがギリシャ語なので、oidもギリシャ語からか。(ex.android)
2.式
(excel風)
σ(x)=1/1+exp(-ax)
※expの-ax乗ということ
と、ものの情報によるとソフトウェア信頼度成長曲線はゴンペルツ曲線による、と言われるが簡素化してシグモイドでなぞってみました…。
しかし、どうなんでしょうか。本来は「~信頼度成長曲線はロジスティック関数様に示される。そのうち、シンプルに示されるのがシグモイド曲線であり、グラフはこうなる」と言った方が理解しやすい気が…。
ソフトウェア信頼度成長曲線=ゴンペルツ曲線
とするのは、あまりに暗記的な覚え方のような気がしたので…。
文系にはやや、骨の折れる勉強でした…。
1.名前の由来はΣ(シグマ)から…
ΣはアルファベットでS。つまり、「Sっぽいカーブになる」からsigm(シグマ) + oid(~の) curve/functionということ。Σがギリシャ語なので、oidもギリシャ語からか。(ex.android)
2.式
(excel風)
σ(x)=1/1+exp(-ax)
※expの-ax乗ということ
と、ものの情報によるとソフトウェア信頼度成長曲線はゴンペルツ曲線による、と言われるが簡素化してシグモイドでなぞってみました…。
しかし、どうなんでしょうか。本来は「~信頼度成長曲線はロジスティック関数様に示される。そのうち、シンプルに示されるのがシグモイド曲線であり、グラフはこうなる」と言った方が理解しやすい気が…。
ソフトウェア信頼度成長曲線=ゴンペルツ曲線
とするのは、あまりに暗記的な覚え方のような気がしたので…。
文系にはやや、骨の折れる勉強でした…。
追体験型観光 観光地のナラトロジー(物語)について
先に観光地の魅力とは「実体験型観光」と「追体験型観光」の二つの分類に属する資源によって左右されると書いたが、次に「追体験型観光」について考察を深めていこうと思う。
もっともこの世界に時間が流れている以上、歴史の無い場所と言うのはあり得ないので、実際は観光地と呼ばれない辺鄙な場所にも、追体験を可能にする資源は無いとは言えない。
つまり、平凡な街を一つ一つしらみつぶしに調べていけば、過去に1人ぐらいはドラマチックな生き方をした人を排出していたり、あるいは偉人・有名人が一時期過ごしていた事が分かったり、あるいは自然科学的に特筆すべき出来事が過去にあったりする。
また、以上のような何か特別なもの、ではなくとも魅力的な追体験しうる観光資源はあるものだ。例えば、大抵の国において、その国の「一昔前の古き良き自然体の風俗」を見たい場合、大抵はその国の主要都市の都心にはその名残を見つける事は至難の業である。
文化、そして特に主要な発展的な都市が有機体であるように、特に主要都市はその有機体としての本性を発揮し、老廃物。つまり「古き良き自然体の風俗」を排泄し、あるいは作り替え、それをとどめる事をしないからである。
そのような場合、大抵はその国の中都市や郊外に行けば良いのだ。大抵、有機体として主要都市に対しては劣る新陳代謝により、「古き良き自然体の風俗」の名残をとどめている事が多々ある。
このような風俗や文化の名残。表現するのであれば、文化・習俗のガラパゴスと呼べるかもしれない。取り残されたからこそ、目新しい追体験型観光資源になりうるのである。
例をあげれば、九州や北海道、本州であれば群馬などに残る炭鉱町。大規模鉱山などである。
もしこれらの地域に、主要都市や大規模都市が生まれれば、特別な例外が無い限り不動産価格の高騰や、都市開発により貴重な文化遺産、風俗は失われてしまったであろう。しかしながら、これら時代から取り残され、誰にも見向きされなくなり、段々とガラパゴスのように取り残されてしまった。
しかしながら、だからこそ特筆すべき追体験的観光資源となったのである。
したがって、魅力的な追体験型観光資源を考えるとき、必ずしも一般的認知度が高いことや、一定以上の古さを持った歴史が必要であるとは限らないのである。
また、多くの時代遅れの遺物やダサさというのは、一定の熟成期間を経て、魅力的な追体験型観光資源になる可能性を秘めているといえるであろう。
つまり、現時点で「ここには何もない」と思えても、掘り起こすことで見つかる物語はどの地域にでも一つぐらいはあるのである。
さて、そう考えた場合、その可観光資源の魅力に優劣が生じるのはなぜだろうか。
ひとつに挙げられるのが、その資源について深く調べられていない、という事だろう。
例えば「この都市には500年前、偉い領主がいた」と言えば、世界で何千、何万という都市が出てくるだろう。その中でも、都市によって優劣が生じるのは、「その領主が何をした?」とか「その領主によりこの年に何が残った?」「その領主はどんな人だったのか?」など肉付けがされていなことにあるのだ。
それは物語を作る際も同じなのであろうが、しっかり肉付けされており、その肉付けが魅力的である、というところに観光地としての魅力が生じるのであろう。
とは言え、ここまでは誰でも語ることができる。
本当に難しいのは、「どのように効率的に肉付けを行えば良いか」の方法論となるであろう。
ただ、一定額の予算を落としても、有志が集まっただけでも、元々魅力的な観光資源があるにせよ、それだけでは解決できない。
もっともこの世界に時間が流れている以上、歴史の無い場所と言うのはあり得ないので、実際は観光地と呼ばれない辺鄙な場所にも、追体験を可能にする資源は無いとは言えない。
つまり、平凡な街を一つ一つしらみつぶしに調べていけば、過去に1人ぐらいはドラマチックな生き方をした人を排出していたり、あるいは偉人・有名人が一時期過ごしていた事が分かったり、あるいは自然科学的に特筆すべき出来事が過去にあったりする。
また、以上のような何か特別なもの、ではなくとも魅力的な追体験しうる観光資源はあるものだ。例えば、大抵の国において、その国の「一昔前の古き良き自然体の風俗」を見たい場合、大抵はその国の主要都市の都心にはその名残を見つける事は至難の業である。
文化、そして特に主要な発展的な都市が有機体であるように、特に主要都市はその有機体としての本性を発揮し、老廃物。つまり「古き良き自然体の風俗」を排泄し、あるいは作り替え、それをとどめる事をしないからである。
そのような場合、大抵はその国の中都市や郊外に行けば良いのだ。大抵、有機体として主要都市に対しては劣る新陳代謝により、「古き良き自然体の風俗」の名残をとどめている事が多々ある。
このような風俗や文化の名残。表現するのであれば、文化・習俗のガラパゴスと呼べるかもしれない。取り残されたからこそ、目新しい追体験型観光資源になりうるのである。
例をあげれば、九州や北海道、本州であれば群馬などに残る炭鉱町。大規模鉱山などである。
もしこれらの地域に、主要都市や大規模都市が生まれれば、特別な例外が無い限り不動産価格の高騰や、都市開発により貴重な文化遺産、風俗は失われてしまったであろう。しかしながら、これら時代から取り残され、誰にも見向きされなくなり、段々とガラパゴスのように取り残されてしまった。
しかしながら、だからこそ特筆すべき追体験的観光資源となったのである。
したがって、魅力的な追体験型観光資源を考えるとき、必ずしも一般的認知度が高いことや、一定以上の古さを持った歴史が必要であるとは限らないのである。
また、多くの時代遅れの遺物やダサさというのは、一定の熟成期間を経て、魅力的な追体験型観光資源になる可能性を秘めているといえるであろう。
つまり、現時点で「ここには何もない」と思えても、掘り起こすことで見つかる物語はどの地域にでも一つぐらいはあるのである。
さて、そう考えた場合、その可観光資源の魅力に優劣が生じるのはなぜだろうか。
ひとつに挙げられるのが、その資源について深く調べられていない、という事だろう。
例えば「この都市には500年前、偉い領主がいた」と言えば、世界で何千、何万という都市が出てくるだろう。その中でも、都市によって優劣が生じるのは、「その領主が何をした?」とか「その領主によりこの年に何が残った?」「その領主はどんな人だったのか?」など肉付けがされていなことにあるのだ。
それは物語を作る際も同じなのであろうが、しっかり肉付けされており、その肉付けが魅力的である、というところに観光地としての魅力が生じるのであろう。
とは言え、ここまでは誰でも語ることができる。
本当に難しいのは、「どのように効率的に肉付けを行えば良いか」の方法論となるであろう。
ただ、一定額の予算を落としても、有志が集まっただけでも、元々魅力的な観光資源があるにせよ、それだけでは解決できない。
観光のナラトロジー あるいは物語
「魅力的な観光地」を考えてみるときに、何がその観光地を魅力的たらしめているか、という議論に焦点があてられる。
例えば、具体的な例を考えてみると良いかもしれない。
仮に、京都と考えた場合。日本人にとってまずは「歴史の都」という印象を持つだろう。
しかし不思議な事に、「どんな歴史」と問うとこの回答については百人百様。定かなものではないだろう。
人によっては「幕末の歴史を感じられる都」となるかもしれないし、またあるいは「悠久の皇室の歴史の感じられる都」かもしれない。
つまり、人が観光地について魅力を感じる場合、何らかの物語を持ってその魅力についての印象を形作っているのである。
一方、この物語については必ずしも過去の物語だけでは無く、未来の物語について語られる印象もある。
それはつまり「自分が(もし)そこに行ったら、このような事ができる。見れる。食べられる。」という自分の未来の物語についてである。
この物語が生き生きとした印象を持ち始めるのは、その観光地の直接的な魅力からである。直接的な魅力とはすなわち、「あれを食べたい」「あれを見たい」「あそこに泊まりたい」「あの人に会いたい」「あれを感じたい」といった魅力である。
これは未来。つまり、「もしあそこに観光に行ったら」という形式で語られる。
換言すれば、前者のように過去の物語を重視する観光を、「追体験型観光」。後者のように未来の物語を重視する観光を「実体験型観光」と呼ぶことができるだろう。
すぐれた魅力を持つ観光地とは、このいずれかに属する資源が豊富であるか、あるいは双方に属する資源が豊富である観光地と言える。
例えば、具体的な例を考えてみると良いかもしれない。
仮に、京都と考えた場合。日本人にとってまずは「歴史の都」という印象を持つだろう。
しかし不思議な事に、「どんな歴史」と問うとこの回答については百人百様。定かなものではないだろう。
人によっては「幕末の歴史を感じられる都」となるかもしれないし、またあるいは「悠久の皇室の歴史の感じられる都」かもしれない。
つまり、人が観光地について魅力を感じる場合、何らかの物語を持ってその魅力についての印象を形作っているのである。
一方、この物語については必ずしも過去の物語だけでは無く、未来の物語について語られる印象もある。
それはつまり「自分が(もし)そこに行ったら、このような事ができる。見れる。食べられる。」という自分の未来の物語についてである。
この物語が生き生きとした印象を持ち始めるのは、その観光地の直接的な魅力からである。直接的な魅力とはすなわち、「あれを食べたい」「あれを見たい」「あそこに泊まりたい」「あの人に会いたい」「あれを感じたい」といった魅力である。
これは未来。つまり、「もしあそこに観光に行ったら」という形式で語られる。
換言すれば、前者のように過去の物語を重視する観光を、「追体験型観光」。後者のように未来の物語を重視する観光を「実体験型観光」と呼ぶことができるだろう。
すぐれた魅力を持つ観光地とは、このいずれかに属する資源が豊富であるか、あるいは双方に属する資源が豊富である観光地と言える。
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