「自我」はわたくし自身。
そして、あなたにも、彼にも、一つづつある。たいていは。
強い自我は、「わたくし」を実現させるため。他の自我を巻き込む。
ひるがえって、そのような自我はただ一人では存在することができない。
つまり、彼が実現するためには、一人の「わたくし」と、九十九人の「わたくし」を支える別の自我を必要とする訳だ。
それでは弱い自我は。
弱い自我は「わたくし」を実現できない。他の自我に依存しなくては居られない。
不思議なことに、同じように。
そのような自我もただ一人では存在することができない。
したがって、彼は強い「わたくし」の実現を支えて、それと一体化することを欲する。とても自然に。
「わたくし」はどのような偉大な自我の部品になれる、可能態なのか。
実際には、「わたくし」にもどこまでも微分可能な要素がある。
この「わたくし」の要素の集合体が、「わたくし」の自我なのか、あるいはそれぞれが個別体として「わたくし」の自我なのか。
肥大した自我は、理念ではないのか。
理念は物理的な「かたち」を持ち、発現する。
そして、「かたち」は相互的に、「理念」に影響を及ぼす。そして、「理念」は「自我」へ影響する。
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