死んでいるのだ。そんなとき、
サスペンスマニアの中年女性は、何か巧妙なトリックにより。そうよ、毒死!怨恨だわ!
と、言う。
同じ同年代の、例えばSE,プログラマーはそれを見て。
可哀そうに、過労で死んだか。怖い怖い。
と、言う。
内科医。とりわけ、アルコール依存症患者を良く見る医師は。
酒か。ありふれた食道静脈瘤破裂。俺もそろそろ控えんとな…。しかし、酒はやめられん。バカ看護婦が。
と、言う。
週刊誌好きのタクシー運転手。のうち、とりわけチンピラ風。
極道に蹴り殺されたんだろう。極道の闇は怖い怖い。ああ、そういえばあの自民党議員の躍進はY組らしい…。
と、言う。
そこで僕は。つまり、しかし僕はこう考える。
クセノスパネスがそういった。
彼に何があったのだろうかな。
しかし、イヌにはイヌの神様。ネコにはネコの神様がいて。それが全能。
世界はマフィアやY口組の幹部に統制されていたり、一人一人の小市民の民主的な手続きに支えられていたり、経済界の重鎮に踊らされていたり。
あるいは霊能者や占い師に踊らされていたり、Zeit Geistに踊らされていたり。
陳腐だけど、大物政治家の密室の力学に踊らされていたり、パンクが世界を改革できると信じているニィちゃんがいたり。
じゃあ、何が本物かといえば、すなわち本物を措定すること自体がおかしいと思いつつ。
しかしながら、「どう思おうと、ひとの勝手じゃない」などという極端な相対主義にうんざりしつつ。
1つの注釈に100の注釈がついて。
それで、哲学者ぶる。結局は、根拠の微分積分。終りが見えない。
実はそこに答えがある。
根拠を問うてはいけない。少なくとも、意味がない。
思い込み。妄想。作り話。
これが、モノを言う。
文明は神話の時代から生まれ、実は何一つ成長していない。
いつも、神話の時代。
美しく、力強く。
大義に叶い、みんな倫に在るところに、神話がある。
そこに、安住と真実がある。